1976年「F1選手権イン・ジャパン」その翌日(4)~展示車の疑問点~

http://swada.at.webry.info/201310/article_4.html]、[http://swada.at.webry.info/201310/article_5.html]、[http://swada.at.webry.info/201310/article_6.html]で決勝レースの翌日に西新宿で撮影したF1マシンの写真を紹介してきましたが、写真を見ているといくつか疑問点が浮かんできました。
1.何故この6台マシンが展示されたのか?
先に示した新聞記事では10台となっていましたが、展示されたのは現役5台+1台の計6台でした。1~3位のロータス77、P34、M23は表彰台だから、高原車は日本人最高位、として、ヘスケスは何故?
私の想像ですがもっと沢山のチームが展示を内諾していたのに、いざとなったら「NO」と言ったのではないか、と思います。レース結果から考えてフェラーリは絶対そうですね。
あと、この富士がこの年の最終戦ということが重要かと思います。次年度の開発費を捻出するためここに展示してから日本でマシンを売っていこうと考えたのかもしれません。他のマシンはわかりませんが、P34はその後「河口湖自動車博物館」に入り、現在、タミヤ模型本社にある車ではないでしょうか?(どなたかご存知だったら教えてください)
2.個々の車について
M23にフロントウィングが付いていません。急いで富士から持って来るときに忘れてきたか、付け忘れたのではないかと思います。模型好きには取り付け部の形状が解ってうれしいです。
P34はリアウィング形状からして2位のデパイユ車と思われますが、カウルにシェクターの名前、ひらがなの名前表示が無い、サイドポンツーン部のゼッケンNoの前のストライプが無い、といったところが決勝を走った状態と違います。
雨の決勝レースを走り終わって、ガムテープで雨が侵入しない様に目止めしていたのを剥がし、燃料を抜いてetc.の仕事を大急ぎで行ったと思われます。なにせ、翌日の午前には西新宿で展示しなければならなかったのですから。カウルを付けて展示出来る様にするときにカウルを付け間違えたのでしょうね。

最後に今回新聞記事を調べていて、「こんなのあり?」という記事を見つけましたのでご紹介します。
画像

レースの一週間前10月16日にジェームス・ハントが自費で予備マシンを持ち込んで富士を単独で走った。とあります。今では考えられない抜け駆けですが、当時はOKだったんですね。

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